捨っても捨っても

断捨離を目指すも入捨入になってしまう主婦の日々

動物と暮らすこと

私は現在結婚してアパート暮らしですので動物を飼える環境にはありませんが、実家の高齢犬2匹の病院通いや介護を一日おきに、状況によっては泊まり込みで手伝っています。


動物との生活の醍醐味は年老いてからだなぁ。と最近よく思うのです。


もちろん、体力的にも精神的にも金銭的にも辛いことも多いのですが、子犬の時とはまた違った、哀愁の中の愛らしさと、全てを抱きしめずにはいられない健気さがあるのです。


子供の頃は外犬と猫でしたが、23年前から室内犬を飼い始め、最初の子が「はな」。

17年1ヶ月の犬生の大半を病と闘った子でした。

甲状腺機能低下症、急性膵炎から糖尿病、てんかん。

食後にインシュリンの注射を打ったりたくさんの薬を飲んでいました。

気位が高く、神経質な子でしたが、「はな」が居てくれたから私自身、病の辛い時を乗り越えられた恩人ならぬ恩犬です。

体がしんどくて横になっていると、どこからともなくやってきていつも側に寄り添ってくれました。暖かくて柔らかくてあの感触が今も忘れられません。


「はな」が病気になる数年前4歳の時に3匹の子犬を産んで、1匹は「ラン」12歳1ヶ月の時、口腔内にできたメラノーマで検査中に亡くなりました。

3匹の中で一番おとなしく、おっとりしていて物事への興味も一番遅かった子で父と相思相愛でした。

亡くなった日のことは、まさに青天の霹靂で、今も悔やんでいます。唯一何もしてあげられず、最期も家族は誰も側にいてあげられませんでした。今日が最期と知っていたら、検査なんて連れて行かず、家で看取ってあげられたのに。


もう1匹は「マル」13歳の半ばで膀胱がんになり手術は成功しましたが、1年後に腎臓の悪化から肺水腫になりなくなりました。14歳8ヶ月でした。「はな」譲りで気が強く、臆病で、それでいて何でもすぐに覚えて一番しつけしやすく、ボール遊びが大好きな面白い子でした。新しいおもちゃを見つけると壊さないと気が済まない激しい子でした(笑)


最後の1匹は「チョコ」今18歳1ヶ月。

生きています。
3匹の中で一番最初に産まれました。くいしんぼうの優しい優しい子です。
趣味、マーキングと盗み食い、布の端を噛むという困った側面もありますが・・・。
そのチョコが、去年からてんかんの発作や痴ほうの症状がでるようになり今年に入ってから体調を崩しがちで病院通いも増えました。

陽気の良い日に、日光浴がてら庭に連れていくと、甘えた顔で気持ち良さそうに身体を委ねる姿がたまりません。


もう1匹は「サム」です。

知人から6か月の時に引き取りました。

我が家に来た時、私が居ないとオドオドして音に敏感で、声を一切出しませんでしたが、先住犬の「マル」がとりなしてくれ、すぐに馴染みました。

「マル」に面倒見の良い姉御肌の一面があった事も大発見で、おとなしく臆病だと思っていた「サム」が実は、陽気で遊び好き、お節介やきの優しい子だったのにはびっくりです。


「サム」を引き取るとき、やせ細っていて、初対面の私にしがみつくように飛んできて離れない姿に、この子がどういう状況だったのか思うと、悲しみがこみ上げ、元飼い主に「飼える環境にないならば二度と飼わないでください」と偉そうに言ってしまったけど、それは余計な一言であり、そんな事言う資格はなかったと今は反省しています。


引き取った日にかかりつけの動物病院に連れて行った時、今は亡き院長先生に言われた言葉にはっとしました。


「犬はね、生涯一主人だよ」


我が家には既に4頭居りましたので、ほおっておけないという安易な理由で引き取った私への戒めであり、先住犬の気持ちやサムのこれまでの状況から今後の成り行きを心配したのだと思います。


私にとって5頭分の1でも、それぞれの犬にとって私は生涯たった一人の主人だということです。


サムがたまたま性格の良い子だっただけで、手に負えない子だったらどうしていたのだろう。先住犬だって突然やって来た見知らぬ物体に心がざわついたはずです。


サムは若い時から心臓病を患い、去年の秋に、肛門嚢胞腺癌を発症、手術し今、14歳2ヶ月です。去勢手術済みの雄犬で珍しいそうです。心臓の調子もあまりよくなかったので、手術できたことが奇跡です。その後、抗がん剤が合わなくて飲めていません。経過観測となっています。再発しないことを、ただただ願うばかりです。
今は心臓もお落ち着いてはいますが、朝方や天気によって咳が多くなり心配は絶えません。


状況が悪化した時は旦那に了解を得て、実家にしばらく滞在させてもらっています。
旦那には申し訳ないと毎回思うのですが、私にとっては、父であり母であり兄弟であり子供なのです。


2匹とも高齢ですし、何かのきっかけで急変する可能性もあり、それを思うと急に眼の奥がツーンと悲しくなったり、不安で眠れなかったりするのですが、再会するたびに全身全霊で喜んで挨拶してくれる姿に、何とも言えない愛おしさと幸福感が溢れます。


「今日もありがとね。すごいね。いい子だね。かわいいね。えらいね。」の繰り返しです。


冷たい鼻先、キラキラした目、足音、水を飲む音、温かい感触、肉球の香ばしい香りとプニプニ感、いびき混じりの寝息。一瞬も忘れたくない。全部が愛おしく、これが永遠でないとわかっているからこそ大切で、失う時は体の一部をもぎ取られるような苦痛がきっとまた訪れ「この悲しみの分だけ、こんなにも私に幸せをくれていたんだな」と再認識させられることでしょう。


その日が来るのが怖いです。


それでも、彼らが生きている「今」を大事にしてあげたいです。最期の瞬間に側にいたいです。


本当に敬服するのですが、動物って良い時も悪い時も自分の身体がキツくても、全身全霊で笑ってくれるんですよね。健気です。不機嫌な態度をとらないんですよね。自分はどうだろうって考えさせられます。


父が2年前に亡くなり、母は70歳で、私も今は動物を飼える環境にないので、もしかしたらこの子たちが私にとっても母にとっても人生最後の相棒かもしれません。余計に愛おしいです。

できることなら生涯動物と関わった生活がしたいですね。

飼うことは出来なくても、飼育ボランティアとか物資の支援とか関わり方は色々ありますしね。

 

動物虐待、飼育放棄等の報道に胸が痛みます。老犬でも病気でもかわいいですよ。

不幸な環境にある子が1匹でも救われますように、切に願います。


時々読み返したくなる本があります。
2004年に発行された文藝春秋の特別版。どの文にも共感しかないです・・・。